先日1月11日、25年以上の歴史を持つ浅草花やしきのお化け屋敷が閉園するという衝撃のニュースが。
あそこは、「本物の幽霊が出る」という都市伝説すら囁かれた、有名なお化け屋敷だったそうです。閉園日には長蛇の列が並び、閉園時間を3時間オーバーしても開園を続けたというくらい支持されていたお化け屋敷ですが、老朽化に耐え切れず、ついに幕を閉じることになったようです。
そこで、ちょっと花やしきが気になったので、調べてみたら、花やしき開園は、実は、1853年(嘉永6年)で、日本最古の遊園地とされているようで。
その歴史はなんと、変化の歴史でした。
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■1853年開園時の江戸期
茶人、俳人らの集会の場や、大奥の女中の憩いの場として利用され、ブランコが唯一の遊具だった。
■大正から昭和初期
全国有数の動物園として知られ、トラの5つ子誕生や日本初のライオンの赤ちゃん誕生などのニュースを生んだ。
■戦時下
徐々に規模を縮小。1935年には仙台市立動物園に売却し、事実上、閉園。
■1939年(昭和14年)
須田町食堂(「聚楽」)が買収し、名称も食堂遊園地浅草楽天地に変更。
■1941年(昭和16年)
松竹が経営に当たることとなり、合資会社浅草花屋敷が設立され、劇場や映画館と共に再度遊戯施設が設けられたが、1942年(昭和17年)には強制疎開によりついに取り壊された。
■1947年(昭和22年)
終戦直後、敷地内は不法占拠されていたが、当時、あらかわ遊園や豊島園も受託していた実績があった東洋娯楽機に業務を委託する形で何とか敷地が回復されて再び開園し、遊園地「浅草花屋敷」と改名。2年後には東洋娯楽機に経営自体が委ねられ「浅草花やしき」と改名。
■2002年
合資会社浅草花屋敷はその後、長らく休眠会社となっていたが、2002年に株式会社松竹シネマエンタープライズに改称して松竹系地方映画館の経営会社に業態変更。
■2004年(平成16年)
トーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きの開始を申し立てたことにより、バンプレストの子会社、株式会社花やしき(株式会社ピアザ・サービスより改称)が8月31日にその事業を承継した。
■2008年(平成20年)4月1日
バンプレストの事業再編に伴って、花やしきの親会社がナムコに移行。
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こうやって見てみると、閉園、解散などを繰り返し、経営権がいろんな組織や会社に移行しながらも、
「浅草花やしき」が生き残ってきたことがわかります。
というか・・・
形を変えながら、まだ残っているということがすごいと思います。
最近、あるお客さんから聞きましたが、480年の歴史がある某老舗和菓子さんは、その長い長い歴史の一幕において、火災にあい、工場が全焼したことがあったようです。そのときに、看板だけを持って逃げた方がまた一から作り直したとお話してくれました。
そうした経験から思うのは、会社が倒産したかどうかの判断基準は、「心に火がついている人がいるか、いないかだ」といえるのではないか、と仰っていたのです。
このお話はすごく僕の心に刺さりました。
火がついているということは、続けたいという人たちの思いと、続けてほしいという人たちの思いが、まだ存在している状態を言うのだと思います。
花やしきにどんなドラマがあったのかはわかりませんが、きっと、誰かが続けたい、続けてほしいと思っていたからこそ、ここまで残っているのでしょうね。
水沢矢成
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